まよあん

或るキリスト者の祈り

2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

僕が語る領分

僕は自分の領分を侵してしまったようだ。僕は語る。しかしそれは、自発的な求めを招くためであって、心の中をこじ開けて、求めを引きずり出すためでは決してない。僕は語る。しかしそれは、僕が受けたものを与えているのであって、聞き手の反応に安住するた…

『キリスト者で“ある”』、『キリスト者に“なる”』、という或る成る問題への回答

何を持ってキリスト者と定義するかはとても難しい問題です。この問題は、新約聖書においてパウロも異端について論じていますから、「キリスト教」が発生してからずっと扱われてきた問題でしょう。 まずは、キリスト教会について考えてみたいと思います。つま…

なぜキリスト者にならなければならないのか

僕たちは誰が神の国に入り、誰が入れないのかを知らない。洗礼(バプテスマ)はその保証ではない。つまり、洗礼を受けたからといって神の国に入れるわけではないのだ。 では、誰が神の国に入ることができるのか。それは、神のみぞ知る、である。なぜなら、神…

はじめに

僕は主を信じます。旧約・新約を通して啓示される主を信じています。 今の世において…いや、これは世界のはじめからそうでした、主を信じると告白する者は、同時に主を証し、主が僕に何をしてくださったのか、何を語ってくださったのか、それを証しないとい…